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新しいことを始めるとき、型にはまらず自由でいい。自分が楽しむことが一番大事です。

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野々歩

野々歩(ののほ)

東京都出身。幼少期から音楽家である父親の影響を受け、現在は音楽ユニット「ショピン」のメンバーとして、また他ユニット「ノノホとコーセイ」「チリンとドロン」、「ロバート・バーロー」としても活動中。音楽活動の他にもモノ作りを行う創作ユニットを組むなど活動の幅は多岐に渡る。2014年2月からNHK『みんなのうた』にてショピンの新曲「ビーフストロガノフ」が放送決定。


【LINK】
nononootoshimono
ショピン公式サイト
チリンとドロン
ノノホとコーセイ


【WORK】
野々歩
ショピン「猫のいる音楽」
2014年3月12日発売

箱庭(以下:h):創作のアイデアはどうやって生まれるんですか?

野々歩(以下:野):誰も気付いていないところに落ちているモノが宝物というか...意外とモノ作りのヒントって、身近な場所や思わぬところに落ちていると思います。あと私、小さい頃から"ごっこ遊び"が大好きだったんですよ。だから「こんな自分になってみたい!」っていう想いから何かが生まれることも多いですね。あとはやっぱり旅ですね。


h:"ごっこ遊び"ですか!おままごととか?

野:おままごとはもちろん、妖精ごっこやお姫様ごっこも大好きでした。幼稚園時代のある日、雨が降ってきて外にいた子たちがみんな部屋に戻ってきたことがあったんですけど...私はその雨をキレイだなって思ったのかステージだと思ったのか、園庭に出ていっていきなり舞うっていう出来事もありました(笑)。とにかく夢見がちな子どもだったみたいです。あと「今から人形劇するから見て~!」とクラスのみんなを集めて劇を見せたりもしていましたね。

h:小さい頃から"表現すること"が好きだったんですね。昔からずっと音楽の世界でやっていこうと思っていたんでしょうか?

野:うーん、実はそうでもないんですよ。小学生までは「音楽家になりたい!」って言っていたんですけど、中学・高校時代になると音楽でやっていこうとは考えていませんでした。幼い頃は親の方針もあって、聴く音楽も観るテレビ番組も制限があったんですよね。だから中高生になると、当時流行っていた音楽を友達に教えてもらったり、人気のテレビ番組を観たり...それまでの反動で色んなことに興味を持ち始めました。その当時のカルチャーショックは大きかったですね、「何このかっこいいビート!」って(笑)。いきなり部屋に中指を立てたパンクアーティストのポスターを貼り始めた娘を見て、父親はさぞかし悲しんだと思います(笑)。

野々歩

h:それは意外(笑)!じゃあ反抗期なんていうのも、あったんですか?

野:父親は基本的に寛容なので、親子ゲンカになるようなことはなかったですね。着る服や聴く音楽が変わっていく私を、ちょっぴり悲しい気持ちで見ていたんだろうなとは思いますけど...。でもそんな当時の私に対して、「自分も昔ロックを聞いた時期もあったんだよ」と話してくれたり、決して反対はしませんでした。その時期に色んな音楽に触れたからこそ、今の私があると思っています。

h:そうですね。でも昔から音楽家に囲まれて育ったら、普通の仕事に就くことは考えられないんじゃ?

野:確かに周りの大人たちは音楽家や画家といった職の人が多かったので、私が音楽の道に進んだのもごく自然な流れでした。あとは学生時代の影響もありますね。私は埼玉県にある「自由の森学園」っていう学校に通っていたんですけど、その学校の校風がちょっと変わっていて...。

h:どんな風に変わっていたんですか?

野:そうですね...例えば誰かが授業の前にふと疑問を投げかけたら、先生が「よし、じゃあ今日はそれ話そう!」ってそれが授業になったりする(笑)。もちろん普通の授業もあるんですけど、一般的な学校とは少し違っていました。放課後になると、教室に暗幕を貼ってみんなでライブをやったりするんですよ。今日はパンク、今日はアコースティックって色々なジャンルがあるんですけど、誰かが自発的に言い出すんです。ライブイベント"ごっこ"みたいな感じでしょうか。でも、フライヤーを作って校内に貼って人を集めたり、開演前はちゃんとリハーサルもして結構本格的なんですよ。その経験があったから、ステージに立つことに抵抗がなくなったのかもしれません。

野々歩

h:そんな自由な学校があるなんて...!でも確かに自発的に行動する力が身につきそうです。

野:そこでは自分自身の見せ方をすごく考えさせられました。だから「こういう服を着たい」「こういうヘアスタイルにしたい」「こういう風になりたい」など、セルフプロデュースの仕方を考え始めるのが早かったですね。あとは、そこでイベントの企画力が身についたんだと思います。高校3年生の頃、私は学校で開催される音楽祭の実行委員をやっていたんですね。みんなで「音楽祭のテーマソングを作ろう!」という話になって、そこで初めて"作詞をする"ということも経験しました。

h:当時の経験がちゃんと今も活かされているんですね。

野:はい。テーマソングを私が"歌のお姉さん"になってみんなに披露するとゆう演出だったんです。その当時、将来自分が子ども向けの音楽をやるなんて考えもしていなかったけど、よくよく考えたらその時にもうやっていたんですよね。たぶん偶然ですが(笑)。その頃から何か感じるものがあったのかな。すごく不思議な感覚です。

h:今までも色んなことを経験されてきたと思うんですが、これからやってみたいことはありますか?

野:ショピンで盛岡に行った時に街中でライブしたんですけど、終演後今までにないくらいの列が出来て、通りすがりの子どもからおじいちゃんまでがCD買ってくれたり話しかけてくれて。すごくいい時間だったんです。なので、いつかそんなライブで47都道府県を回ってみたい!今は私たちの音楽を好きと言ってくれる方が曲を聴いてくれる事のほうが多いけど、知らない人に聴いてもらうのってわたしはワクワクするし面白そう!と思っています。地域によって反応が全然違うんですよ。だから国内外含め、今まで行ったことのない土地にもっと行ってみたいですね。

野々歩

h:今まで一番印象深かった土地はどこですか?

国外だと、一番印象深かった土地はインドです。インド人の強さや神秘、たくましさ。その生きていく強さがすごく美しくて。ガイド本などで書かれているように観光客をぼったくろうっていう人ももちろんいますけど、その騙しのトークでさえもどこか愛嬌がある。「またまた~!もうちょっと安くしてよ~」っていうそのやりとりも何か楽しい。あとヨーロッパも大好きです。特にフランスの音楽や踊りや衣装や雑貨、モダンもクラシカルなものも両方興味深いものがありますね。

h:ここ「ロバハウス」にも世界の楽器がたくさんありますが、
海外へ行くとその土地の音楽ってやっぱり気になりますか?

そうですね。匂いというんでしょうか、街中を歩いていても「何かあのあたりに音楽の匂いがするなぁ」ってなぜか引き寄せられちゃう。いつかはチリンとドロンでやっている"世界のわらべうた"を探す旅っていうのもいつかやってみたいなと思っています。

h:それでは最後に、読者に一言メッセージをお願いします!

私は音楽も歌もモノ作りも、今まで誰かにちゃんと教えてもらっていません。だから「何かをしたい!」と思ったとき、必ずしも学校で学んだり誰かに教えてもらわなくてもいいんじゃないかなぁと。新しいことを始めようとするとき、まずスクールに通うところから...と思われがちですが、もっともっと自由でいい。形にとらわれず何より"自分が楽しむ"ことが大事だと思いますよ。


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