

松尾 たいこ (まつお たいこ)
アーティスト/イラストレーター
広島県生まれ。1995年、32歳で上京しセツ・モードセミナーに入学。1998年からフリーのイラストレーターに。第 16回ザ・チョイス年度賞鈴木成一賞受賞。これまで250冊以上の書籍装丁画を手がけたほか、雑誌,広告,ファッションブランドやミュージアムショップへの作品提供。2013年5月に初のエッセイ「東京おとな日和」を出すなど幅広い分野で活躍している。
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今回、お話をお伺いしてきたのは、松尾たいこさん。これまでに250冊以上の書籍装丁、雑誌、広告など、たくさんのお仕事をされているイラストレーターさんです。キャリアも充実されているので、緊張気味の箱庭編集部でしたが、とってもチャーミングな方で終始、笑い声の耐えないインタビューとなりました。5月に発売された初エッセイ『東京おとな日和』の中では、「40代、いまが一番楽しい!」とおっしゃっています。20代と30代をどんな気持ちで過ごし、そして夢だったイラストレーターになるまでを、たっぷりと聞いてきましたよ!
haconiwa(以下h):まずは、イラストレーターとしてご活躍する前のお話をお伺いさせてください!
松尾さん(以下:松):短大を出て地元(広島)の自動車メーカーに就職しました。入社当初は、一般事務だったんですけど、忙しくもなくむしろ退屈だったので勝手にプログラミングの勉強をして、システム開発の部署に移してもらったんですよ(笑)。結局、その部署には5年間くらいいて、最終的には、32歳で会社を辞めました。ただ辞めようと思った動機は、イラストレーターになるぞ!という強い思いがあったわけではなかったんです。1 年間だけ好きなことをして、また広島に帰って職を探そうと思っていたんです。だからイラストレーターになれるとは思ってなかったです。h:最初は、期間限定で上京されるつもりだったんですね。
松:そうですね。初めて好きなことをやってみようと思ったのが32歳だったんです。10年以上働いてきたご褒美として、自分の思うようにやってみようと思ってたんです。h:ちなみに、OL時代に学ばれたプログラミングっていうのはどういったものですか?
松:主にC言語とかを勉強していました。

h:えっ!スゴいですね!!
松:いや、本当に暇だったんで...(笑)。役割のある仕事をされている女性もたくさんいたと思うんですけど、基本的に職場は男性社会で、男性70人に女性1人みたいな感じだったんですね。だから可愛がって頂き、居心地はとってもよかったんですけど、仕事はものすごくつまらなかったんです。ただ、プログラムは作れても、その中にある周波数とかを計算する数式の意味が私はわからなかったんですよ。周りの人たちは東大卒の人だったりと、エンジニアの方ばかりがいる中で、これは、私がここにいてもこれ以上、上に行くことはできないなとも思っていたんです。h:上京して通うことになるセツ・モードセミナーは、どういう経緯で選ばれたんですか?
松:たまたまなんです! 絵の勉強をしたいって話を友達にしたときに、セツ・モードセミナーがいいよって教えてもらったんですよ。いや~本当に、思っている事を口に出すもんだなって思いました。いろんなきっかけが生まれますもんね。で、セツ・モードセミナーを調べてみると、試験がないし、通われている人の年齢がバラバラだったんですね。これなら私も入学できると思って、すぐに有給をとって入学手続きをしに行きました!h:地元の会社を辞めようとした時の周りの反応はどうでしたか?
松:もう辞める前から「辞めない方がいいよ!」って、会社の人からは言われました。休みも多く働きやすい環境で、広島の中では給料も良い会社でしたからね。実際に定年ぐらいまでいる女性も結構多かったんですよ。辞めた人にも話を聞くと「絶対辞めない方がいい!」って。辞めた当初は自由になった感じで楽しいんだけど「だんだん退屈になってくるよ」って、働けるなら働いていた方がいいよって、ものすごく言われました。だけど、私は辞めてから、1回も1秒も、後悔したことはないんで(笑)、余計なこと聞かなきゃよかったって思ってます。
h:ちょっと気持ちが揺らいだりとかは、なかったんですか?
松:なかったですね。というのも20歳で入社して1ヵ月後くらいから、すでに違うな~って思ったんですよ。でも、私の性格って、控えめっていうかなんか消極的なので、自分が人と何か違うことができるとかを考えたことなかったんです。あとは、せっかく入社したんだから...とか、25歳くらいまでは、そんなことを思っていたんです。でも、32歳になったときに、こうなりたいっていう女性が職場には、いないってことに気づいて...。そう考えると、働くことは好きだったので一生働きたい!と思った時に、ここで働く自分ってのが全然想像できなかったんです。だから、20代は色々と悩みましたが、辞めるときは全く迷ったりはしなかったですね。入社してすぐに違和感を感じ、ごまかしながら25歳を迎えて、32歳で自分の立ち位置と周りを見渡したら、今しかない!って感じで、辞めちゃえって思ったんですね。
h:上京され、セツ・モードセミナーに入られてどうでした?
松:まずは、わかってはいたんですが、本当に年齢や境遇が違う人がたくさんいてびっくりしました。それまでは、同じ学校とか、同じ会社とか、そういうコミュニティでしか、友達って作ったことなかったんですよ。セツ・モードセミナーの入学式に行ったら、どう見ても私が一番年上なんですね。一番下は、本当に中学を卒業して入学してくる人とかいるわけですよ。だから、絶対に友達できない!って思いました(笑)。でも、好きな絵が描けるからいいや、と思っていたんですけど、すぐに友達はできました(笑)。それまでは、友達との共通の話題って美味しいものとか旅行とか、テレビドラマくらいしかなかったんですよ。だけど、セツ・モードセミナーに通いだしたら、「なんとか展がよかった」とか、「たいちゃんの絵が、レイモンド・カーヴァーの小説みたいな感じ」だとか...、レイモンド・カーヴァーってなんだろう~?みたいな(笑)。それぐらい何も知らなくて...。だから、それからは、すごい勉強していろんな画家さんを調べたりとか、美術館に行ったり映画を観に行ったりとたくさんインプット作業をしました。印象的なのは、グループみんなで挑戦していた公募展。みんなで出す前に、喫茶店に集まって、みんなで絵の品評会みたいなのをしたりして、そういうのがすっごい楽しかったですね。だから、1年間学んだらすぐ帰ろうと思ってたんだけど、広島に戻らず絶対にイラストレーターになろう!っていう気持ちに変わっちゃっいました。h:そこは悩まず、絶対これしかない!みたいな感じだったんですね?
松:はい! もう絶対にイラストレーターなれる、と思っちゃいました。それまでは、"動いてる"イラストレーターとかも見たことがなかったので、実感としても刺激を受けました。OL時代は、イラストレーターって、別の世界の人と思ってたんですよ。でも、セツ・モードセミナーにも実際にイラストレーターやりながら、勉強しに来てる人もいたりするんですよ。それに、一緒に勉強している人もイラストレーターになりたい!って言ってるので...、「あれ?これ別に普通の職業じゃん」って思えたんです。