

松尾 たいこ (まつお たいこ)
アーチスト/イラストレーター
広島県生まれ。1995年、32歳で上京しセツ・モードセミナーに入学。1998年からフリーのイラストレーターに。第 16回ザ・チョイス年度賞鈴木成一賞受賞。これまで250冊以上の書籍装丁画を手がけたほか、雑誌,広告,ファッションブランドやミュージアムショップへの作品提供。2013年5月に初のエッセイ「東京おとな日和」を出すなど幅広い分野で活躍している。
【LINK】
TAIKO MATSUO ART-WORKS
松尾たいこブログ|私だけの色を探して
Twitter
facebookページ
「東京おとな日和」特設サイト
【BOOKS】
h:リアルなところで、読者の方も気になると思うんですけど、社会人から学生になってお金の面はどうされていましたか?
松:11年間OLをしていたのいである程度の貯金はあったんですよ。もともと、1年くらいは遊学するつもりでしたから。h:セツ・モードセミナーに通われて、お仕事が入ってくるようになったきっかけはありますか?
松:きっかけは、そろそろ個展をやっていいかなっていう時期がありまして...。98年かな。今はなくなってしまいましたけど、表参道の同潤会アパートに「ロケット」って言うギャラリーがあったんです。そこではじめて個展をやったんです。きっかけは、私が一番大好きなイラストレーター伊藤桂司さんに作品を見てもらいにいったときに、CAPの藤本さんのことを教えて頂き、藤本さんが運営している「ロケット」で個展を開けることになったんです。h:すごいですね! 箱庭メンバーのエディトリアルデザイナーは、みんなCAPの藤本さんを尊敬していますよ!
松:だからやっぱり、勇気を出して伊藤さんにアポをとって本当によかったなって思ってます。ちょっと踏み出したり、ちょっと発言することで、何か次のきっかけになるんですね。その個展がきっかけで、仕事が入るようになったんです。まあでも最初の頃は月に1本とかでしたけど(笑)。
h:最初のお仕事は何でしたか?
松:最初のお仕事は、『SWITCH』でした。「わぁ~こんなかっこいい雑誌から来たー!」って、すごく嬉しかったのを覚えていますね。
h:デビューが『SWITCH』ってすごいですね!
松:あと、ほぼ同時に『サイゾー』からもオファーがありました。h:では、そこからは順調にお仕事が入ってきたって感じですか?
松:いえいえ、その時点では、そんなに入ってこなかったんで、いろいろ策を練りました。一番最初にやったのは、自費出版で作品集を作りました(2000年)。で、デザイナーさんや出版社さんに配りました。その後は、WEBサイトを自分で作りました。当時は、もちろんSNSとかもないですし、WEBサイトを簡単に作れるソフトもなかったので、なかなか大変な作業でした。でも、おかげで少しずつ、お仕事は増えていきましたね。
h:個人として、WEBサイトを導入されるのも早いですね!
松:大変でしたけど、なんとか自分のWEBサイトを作り、今までの仕事を全部載せて...。で、毎日、見に来てもらうには変化がないとダメだなと思ったので、日記のページとかも作りました。今と違って、ブログサービスも普及していなくて、毎日htmlを自分で打たなきゃいけないんで相当大変でしたね(笑)。あとは、年に1回は必ず個展をやっていました。個展でちょっと変わった感じのDMを作ったりもしました。だいたい皆さん個展に来る時間はないけど、DMは覚えてくださることは多いので、DMの印象でやっぱり仕事って来るんですよね。だから、一番最初の「ロケット」でやった個展のときは、当時にしては斬新なDMを作ったんですよ。普通だったらポストカードとかじゃないですか、新人のクリエイターさんだとお金がないから自分で刷ったりとかして、ちょっとチープな感じのやつになりがちなんでですね。それも、コンセプトでそういうDMだったらいいと思うですが、大体は、そこにお金をかけない、知恵を絞らないっていうのが大方の理由だと思うんですね。でも、私はプロの印刷所に頼んで、二つ折りにして絵が両方から見られるDMを作ったんです。封筒も透明なものにして、封筒なのに外から中が見える仕様にしたんです。そしたら、結構インパクトがあったみたいで、そのDMが好きでまだ壁に貼ってあるよ!とかって何年か後に言われたことがあったんです。だから、DMに限らずですが、ケチって印象に残らないモノを作って捨てられるんだったら、お金や時間をかけてしっかりとアピールできるモノを準備するべきだなと思っています。
h:誰かからアドバイスされるというよりは、ご自身でPRとかも計画されるんですか?
松:はい! そういうのすごい好きなんですよね。今回、書かせて頂いた本(「東京おとな日和」)も出版するときに、どうしたら色んな方に知って頂いて、読んで頂けるかな~って考えた末に、自分で特設サイトを作ったんです。新聞に載った書評はもちろんのこと、ブログやツイッターのコメント、Facebookで頂いたメッセージなんかも全部載せたんです。しかも今回は、Tumblrで作ってみました。初挑戦でした! そしたら、すごく楽しくて...。最初は、Tumblrにツイッタ―で人がつぶやいたコメントを載せるやり方とかもわからなかったんですが、調べたらすぐわかるんですよ。だから、それらができるとちょっと達成感あって、本当に楽しいんですね。h:やり方は違うけど、独立直後からやられてきたことと根本は変わらずなんですね。
松:そうですね。とにかく、イラストレーターって、たくさんいるんですよ。私が加入している「東京イラストレーターズソサエティ」っていうのも、審査があったりとか、公募展があったりとかで、誰でも入れるわけじゃないんですけど、200人以上所属しているんですね。あと、「イラストレーションファイル」は、上下巻になって1000人とかが加入されているんですね。だから、第一線で活躍し続けようと思ったら、ずっと宣伝というか、動き続けなきゃいけないなというのはすごい考えています。そんなにいつもディア露出できる訳でもないですし、どこにでも見られるような絵ではないので忘れられないようにするためにも、とても大事なことだと思っています。もちろん基本は、いい絵を描くのが大前提なんですけど、それがあったら、じゃあそれをどうやって広めるかとか、ずっと好きでいてもらうためにどうするかとかを考えるのも仕事のひとつだと思っています。
h:『東京おとな日和』を出すきっかけは何かあったんですか?
松:きっかけは、友達と話をしていた時です。去年の始めくらいなんですが、制作意欲が湧かないというか、あまり絵を描く気がしなかったんですね。そんなことを相談していたら、友達に「文章を書いてみたら?」って言われたんですよ。私の文章って、すごく自然で、だけどちょっと人と見るところが違ったりするところが面白いよって言われたんですよ。で、「ええっ!」と思ってびっくりしたんです。でも、いろいろ考えてみると、今までブログは、人に批判されるのが怖かったからあんまり自分の思いを書かなかったんですよ。だけどその1年くらい前から、自分の思ったことを書くようになっていたんです。そしたら、意外とみんなが共感してくれたりしていて...。見に来る人の数とかも、そういう内容のときの方が多かったりしていたんですよ。そう考えてみると、文章を書いてみるのもいいかなと思えたんですね。h:偶然のタイミングのように思えますが、必然的なタイミングだったかもしれませんね。
松:そうそう。最近は、ツイッターなんかでも、ちょっと弱気になって、わぁーっと自分の思っていること書いちゃったりとかすると、すごい反応あるんです。だから、そういったみなさんからの反応もあって、書く決心はついたんです。あとは、そもそも文章を書くが好きだったいうのもありますね。で、自分が書けることって何かな~と思って、いくつか自分でも企画書みたいなものを作ったんですよ。特に自分より若い人に共感してもらう何かを書きたいっていう気持ちが強かったです。そんな思いを、いろんな友達に相談していたら、私のツイッターをフォローしてくれていて、しかも私の文章が好きです!とおしゃってくれる20代の編集者さんを紹介して頂いたんですね。ただ、だからといって出版できるとは思わなかったんですが、ブログのファンでもありプロの編集者として、一度、両方の目で、この企画が本になるかを相談してみようと思ったんです。そしたら、彼女が、私が担当編集で出したいです!っておっしゃったんです。
h:そんな経緯があったんですね。しかも、素敵な出会いも...。
松:はい! だから自分から持ち込んだんです。だれも書けとは言っていないです(笑)。でも、このタイミングだったから実現したんだと思っています。私は、32歳のときに、ようやく自分の根っこっていうか、やりたいことが見つかったから、私にとってはそれがいいスタートだったと思うんですね。で、自分が20歳の頃を思い返してみると、別に何にも考えてなくて、今日楽しければいいかなぁ~くらいな生き方だったから(笑)、そこで、もしこんなチャンスが巡ってきたとしてもそれを活かせたかどうかわかんないなと思うんです。だから例えば20歳で、その根っこを見つけられた人は、それをやればいいし、見つけられない人は、いろんなことを勉強する時期って思って、いろんなことをやればいいんじゃないかな~って思います。